郷土再発見シリーズ

東毛地域の戦国時代・彦部家住宅

武家屋敷?豪農屋敷?中世の城?

彦部家屋敷に訪れると、一見農家風の主屋の中は武家屋敷の備えに なっています。
しかも室町風の庭園、中世の城壁の備えも見ることができ、20,600 平方メートルの敷地内には八幡宮やお稲荷様、弁天様、天満宮など も同居しています。 いったいどんな人物がここに館を構えていたのでしょうか?

戦国時代の東毛と桐生彦部氏の興り

彦部家は第40代天武天皇の長子“高市親王”を始祖とした 1300年の歴史を刻んでいます。
桐生彦部氏初代信勝は33代 に当り、室町13代足利義輝将軍の側近でした。 永禄3年(1560年)信勝が関白、近衛前嗣と共に関東にやって きたときの東毛地域は上杉、武田、北条の3つの勢力が交錯 し、これに太田金山城を本拠地とする由良氏、梅田の桐生城 を本拠地とする桐生氏などの地元の勢力が付きつ離れつ、攻 防を繰り返した戦国時代のまっただ中でした。
信勝が桐生方面に来た目的は当時の関東の情勢を探るためで したが、この時足利将軍に忠誠を誓っていた長尾景虎(上杉謙信)の居城、越後の春日山経由で桐生に入ったようです。
しかし信勝が関東滞在中に、三好の乱で将軍足利義輝が殺害され、事実上室町幕府が亡びます。 (この後織田信長が足利義昭を擁して一時的に室町幕府を再興しますが、あくまでも信長の傀儡です。) そして同時にこの時、父の彦部晴直(31代)と兄の輝信(32代)も将軍と共に戦死してしまったため、次男信勝は帰京することなく、彦部家33代当主となり先祖ゆかりの地でもある桐生に留りました。
こうして彦部氏は地元の豪族として定着したのでした。

中世から江戸時代へ

彦部家住宅の地図

館の作りを見ると後ろにある手臼山を砦とし、 前に堀や石垣、見張りの櫓跡などがあり、文字 通り中世の砦としての機能を持っています。
しかし彦部氏は豊臣秀吉の太閤検知以降、郷士、 名主として当地を治めていたようです。
現在の主屋は戦国時代(1580年頃)に建てられた ものですので、大農家の外観とは裏腹に、武家 屋敷の特徴を兼ね備えており、年代的にも古く、 多くは国の重要文化財となっています。
屋敷にある室町風の池泉回遊式庭園は春には桜、秋にはもみじなどが美しく敷地内を彩ります。
戦国時代から江戸時代にタイムスリップしたような気分を味わうと同時に、季節の風情を楽しむことができる数少ない現存している場所の一つですので、一度足を運んでみるのもいいと思いますよ。