郷土再発見シリーズ

両毛地域の地名の由来

町などの地名の由来には、諸説がありはっきりわかっていないものがほとんどです。 郷土の地名の中で一般的に言われている主な由来をご紹介します。ご参考程度に。

県名の由来

両毛

古代に栄えた毛の国(けのくに)に由来します。
毛の国とは当時関東以北で暮らしていた先住民の国と見られ、一説ではアイヌの遠い祖先とも言われております。
彼らは、のちにこの地を征服した倭王朝の人たちよりも毛深かったと言われています。
当時倭国の中心だった今の近畿地方から見て近い方が上毛(かみつけ)→上野、遠い方が下野(しもつけ)と呼ばれました。

群馬

今の高崎あたりの郡名が明治初期の廃藩置県の際に県名になりました。 古代、朝廷に献上する馬の牧場が多くあったためという説がありますが定かではありません。

栃木

廃藩置県の際に栃木県と宇都宮県ができましたが、一方の県庁所在地町名(栃木町)が県名になりました。なお栃木の名前の由来は以下の説があります。

1.現在の栃木市に神明宮という神社があり、屋根にある2組の千木(ちぎ)と8本の鰹木(かつおぎ)が、遠くから見ると10本に見えたことからため、このあたりが「十千木(とおちぎ)」と呼ばれるようになった。
2.このあたりにトチノ木がたくさん生えていた。
3.このあたりを流れる巴波川がたびたび氾濫を起こし、途切れた地形、ちぎるなどが変化した。
4.「古事記」に登場する豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)が、紀の国(現在の和歌山県)区別するため、遠いキの国(毛の国)としてトチギと呼んだ。
などです。

市町村名の由来

桐生市

「桐が多く自生する土地」または「霧が多く発生する土地」の2説が有名です。

みどり市(みどり市ホームページより)

公募により候補を募り、話し合いにより決定しました。緑豊かなふるさとへの思いと今後の豊かな自然との共存への願いが込められています。

太田市

太田は、“古墳時代”のころから、良質の水田が広がっていたと 言われています。古い文献には大田とも書かれているようです。

足利市

昔駅家であったため使者や駅夫に足の利く物が多く「アシキキ」が訛ったという説。 アシカガミワケ(カガミワケ)という人物が治めていた。 葦と芝草(当時はカガと呼んでいた)が茂っていた。 などの諸説があります。

伊勢崎市

この地に伊勢神宮を分祀し、その前(さき)に開けたことに由来する説、由良成繁がこの地の年貢を伊勢神宮に献じたことに由来する説などがあります。

前橋市

馬屋のほとりで利根川に架かっていた橋を「うまやの橋」と呼んだことから、中世に「厩橋(まやはし)」と呼ばれました。「前橋」になったのは江戸時代です。

桐生の町名の由来

菱町

 歴史上初めて菱の地名が出てくるのは中世です。
戦国時代に菱を治めていたのは細川内膳という豪族でしたが、この細川氏の屋敷は現在の菱町2丁目津田荘の前あたりに本丸がありました。
15年ほど前、この地に居を構えていた小林郁様と言う方に話を伺ったことがあります。
この細川氏の屋敷の敷地が菱形をしていたのが菱の語源だということでしたが、この説は現在でも有力な説の一つです。
現在の津田荘裏から菱小わきに流れていた小川が当時の堀だったそうです。
ただこれとは別に平安時代に菱郷という呼び名もあったという説もあります。
また、菱にはマンガン鉱が多く、雨が降ると川の水が黒く濁ったことが黒川の名前の由来とのことでした。

境野町

桐生川が上野と下野の国境となっていたことに由来します。

東地区の旧町名

江戸時代の東地区は今泉村と呼ばれていましたが、やがて堤、本宿などと合併して安楽土村となった後、明治に(上下)久方村などと共に桐生新町と合併しました。
今泉の名前の由来は桐生重綱が狩りの途中で民家に立ち寄り、娘が汲んできた屋敷内の泉の水を「今一番の泉」と褒めたのが最初との伝承があります。
(この他東地区には清水町などの旧町名があることからも、泉が湧いていた場所が多かったからという説や、由良国繁が旧領地を懐かしんで同じ地名を付けたなどの説があります。)
芳町の芳も葦がなまったか、キノコの意味もありますので湿地帯だったと思われます。
他にも諏訪神社にちなんでつけられた諏訪町などが、現在も町会名に使われています。